毒親

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父不在の一年、たがが外れていく家庭

殺伐とした父不在の一年 父の転勤したのは兄が高校3年生の時。大学受験を控えた兄を転校させられず、父は一足先に引っ越した。 父が赴任先から帰宅したのは数回。 家でも兄とほぼ顔を合わせず、母と私の二人家族のようだった。 私への依存が強くなっていく母 母は私と外出したがった。 おしゃれをし、ウインドウショッピングを楽しみ、素敵なレストランへ出向く。店員さんとおしゃべりを楽しむ母、仲の良い親子と言われたい […]

服の話の続きを

母は着道楽である。とにかく服が大好きで「本物」を追求する人であった。ヨーロッパの洋食器や陶器の人形を集めていた。 母が新婚旅行で着ていたスーツには、綺麗な刺繍にビーズがあしらわれ、モノクロでも上質なものとわかった。 好きというだけあって 母の目は高く、選ぶものはどれも品があり、それでいて、はかなげな可愛らしさを持ち合わせている、なんとも乙女心をくすぐるものばかりだった。 母自慢の陶器のお人形が並ん […]

暗黒時代の真っ只中

思い返しても暗黒時代でしかない 曖昧で、薄らぼんやりした、小学校高学年〜中学の記憶。特に「あの家」での記憶全般。 誰かがイライラしては、怒鳴る毎日 家庭内に「どす黒い感情」がそこかしこに転がる日常。もはや家族全員が常に戦闘態勢で、「笑顔」「安心感」などは微塵もなく、 なのに夢のような未来を語る母 機嫌の良いときの母は楽しそうに「未来の家族」について語るのだった。兄は有名大学にはいり、私は女子大か音 […]

だんだん追い詰められる私の心

引っ越し、追い詰められていく家庭 知り合いが1人もいない見知らぬ土地へ引越した。(※父母は2度目※兄と私は初めての引越し※) 新しい環境に慣れるべく、各々が自分のフィールドでもがき頑張っていた。 環境の変化に家族全員が四苦八苦 結婚当初、母は父の実家に同居し兄を育てていた。 父の転勤が決まった先は、父母共に生まれ育った土地から遠く離れた知り合いのいない新たな場所だった。そこで乳幼児(兄私)を育て、 […]

母の毒っぷりの加速と、解毒・解放へのはじめの一歩

母の毒っぷりの加速は「あの家」からだった 失敗だったと思う、引越し 私が10歳の頃、山間部の頂を開発した、新興住宅街に家を購入した。庭付き一戸建。(※中古住宅であることが後の結婚後の私への母の嫉妬に繋がることをちょとっこ覚えていてね※) 兄は中学生になっていた。学年のキリの良い新学期に、我が家は団地よりはるか田舎に居を構えた。 今思い返してもてもあれは失敗だったと思う。 街には、幼稚園〜中学は一校 […]

無償の愛とは一体何だろう

無償の愛について考える 集合住宅に住んでいた頃 家は一階、ベランダから庭に降りれる階段がついていて、集合住宅の広場へ行き来ができる造りになっていた。兄が幼稚園に通い始め、母にもママ友が出来、遊び友達もできた。 私と双子コーデをしていたお友達も兄の幼稚園を通じて知り合った。 双子コーデのお友達 彼女はクオーター、大きな英国犬を飼い、映画のセットのような、花柄の壁紙、洋風の家具、洒落たティーカップ、穏 […]

一番古い怒られた記憶

一番古い記憶は暗くて狭いトイレ 多分、あれは3歳頃だと思う。 お箸の持ち方で怒られ、手を叩かれ、父に担がれ、電気の消えたトイレに閉じ込められた。暗くて狭くて、怒られた原因のお箸を握っている私の記憶。 集合住宅に住んでいた。 玄関から一歩出ると微笑ましい家族に見えてただろうけれど、家の中では、いつ父の、母の、怒りのスイッチが入って矛先が兄や私に向かうのか、その法則が分からなかった。 いつも何で怒られ […]

デジタル遺産として子どもに遺したい

ブログ開設のきっかけは子どもと私の命 このブログを開設したきっかけは、 毒親と絶縁した 子ども②は「がん患者」である事を知らない 子ども①は「がん患者」であることしか知らない 私の死後、子ども①②と夫が毒親に傷つけらぬよう 起きた事を綴っておきたかった いつか子ども①②が成長した時、 過去、我が家に「大事(がん告知)」が起きていたのは、きっと覚えているだろう。いつか詳細を知りたくなる日がくるかもし […]

家から一歩も出られなくなった

そう家から一歩も出られなくなる がん拠点病院へ診察をお願いする運びとなって程なく、私は家から一歩の出ることができなくなってしまった。 リビングにあるパソコンに泣きながら向かい、ひたすら「中皮腫 腹膜中皮腫 余命 予後」等のワード検索をし続けた。情報が少なすぎて、論文まで読んでみた。 2012年当時、ブログを開設している中皮腫の方はさほど多くなく、開設していても更新されていない、もしくはご家族が代筆 […]

娘が、がんと知った時、母は「私の老後がなくなったのね」と言った

娘が「がん」とわかり母は私の老後がなくなったのね そう、毒母は間違いなくそう言った。 ん? 私が代わってあげたいとか、私の心や体調を心配するより前に、母自身の「老後の不安」が真っ先に口に出るの? くう、かなりの毒親っぷりだ… その時の私は「共依存」で「洗脳」状態だったから、母の期待に添えない自分が不甲斐なく、母に申し訳なく思った。何なら私がいなくなった後の母の悲しみを先に想像してしまったくらいだ。 […]

おかしいなあと思った診察の順番

そう、前回書いたが、2012年4月12日 14時頃 診察予約表に記された日時。 なかなか呼ばれない診察の順番 産婦人科の待合室は、たくさんの母子や女性でいっぱいだった。 16時になっても呼ばれず、一度看護師さんに確認に行くと「うん、予約はちゃんと入っているから安心してね。まっててね」というので、今日は混んでるのかと思い椅子に戻る。 でも後から入ってくる人が先に呼ばれるし…、17時になった時点では、 […]

希少がん告知を受けるその瞬間まで

術後、退院まで順調に回復し、日程通りの退院となりました。 腹腔鏡手術は回復が早いとはいえ 内臓を切る経験が初めてなので、 「痛みが少ないですよ」「回復も早くて楽ですよ」という意味がよくわからなかった(私の過去最高値は、出産と真横に生えた親知らずを抜いた痛み)。 よって私の比較対象は当てにならず…、 痛みはもちろんあるし、シャワー浴びるのも小鹿だし、怖くて傷口見れないし…、基本傷口は見ないように、院 […]

卵巣嚢腫の手術で終わりと思っていた

意を決した卵巣嚢腫の腹腔鏡手術 後に10時間超えの手術をするなんて知らないから、私的には人生の一大事で、清水の舞台くらいの決心で、d当時務めていた会社に事情を伝え、最短の手術日を予約した。 その時はまだ希少がんと告知される未来を知らないから、退院後2週間ほどでの職場復帰の予定を伝えていた。 そんな短期間で本当に復帰できるのぉぉぉ?と思いつつ、私の入院中の子どもの習い事や宿題の予定が気になった。 母 […]

毒親編はじめます

毒親というパワーワード 毒親と聞くと、暴力ネグレクト等の肉体的虐待事件のような、ニュースで目にする事件関連を思い浮かべる人も、まだまだ多いのではないでしょうか。 ニュースになる事件の場合、親を「毒親」と呼んでも、納得してもらえる言葉だと思います。 しかし、目に見える肉体的虐待を受けていない場合、他者に両親の事を「毒親」と表現し話をするのは気が引ける自分がいるのも事実です。パワーワードかなぁと… 父 […]

その頃のファッション

毒母はなかなかのお洒落さんでした 母はお洒落なママさんでした。 ミシンも得意で、よく洋服を作ってくれました。「売ってないけど、こんなのが欲しい」とお願いすると、生地屋さんに連れて行ってくれ、一緒に選びドンピシャ可愛いお洋服をさらりと作ってくれる凄いママンでした♪ キティちゃん柄のフレアスカート(広げると360度になる、くるくる回りたくなるやつ)♡ 家庭科で使うエプロン・三角巾・入れるバックはキキラ […]

毒親育ちmochiと申します

はじめまして♪ 毒親育ちです、mochiと申します。 アラフィフ、お子①②の母で妻(2020.02現在) 父母兄+両親族に『絶縁状(内容証明郵便)』を送り、全ての関係を断ち生きています。 しがらみから解放され6年目( ´艸`)イエイ ♡ 兄による性被害を父母に訴えるも取り合ってもらえず(30代) がん患者となっても毒親っぷりが変わらず(孫を養子にしろ等) 父母に絶縁を宣言(40代) 父母兄、親族に […]

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