絶縁

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母の毒っぷりの加速と、解毒・解放へのはじめの一歩

母の毒っぷりの加速は「あの家」からだった 失敗だったと思う、引越し 私が10歳の頃、山間部の頂を開発した、新興住宅街に家を購入した。庭付き一戸建。(※中古住宅であることが後の結婚後の私への母の嫉妬に繋がることをちょとっこ覚えていてね※) 兄は中学生になっていた。学年のキリの良い新学期に、我が家は団地よりはるか田舎に居を構えた。 今思い返してもてもあれは失敗だったと思う。 街には、幼稚園〜中学は一校 […]

無償の愛とは一体何だろう

無償の愛について考える 集合住宅に住んでいた頃 家は一階、ベランダから庭に降りれる階段がついていて、集合住宅の広場へ行き来ができる造りになっていた。兄が幼稚園に通い始め、母にもママ友が出来、遊び友達もできた。 私と双子コーデをしていたお友達も兄の幼稚園を通じて知り合った。 双子コーデのお友達 彼女はクオーター、大きな英国犬を飼い、映画のセットのような、花柄の壁紙、洋風の家具、洒落たティーカップ、穏 […]

一番古い怒られた記憶

一番古い記憶は暗くて狭いトイレ 多分、あれは3歳頃だと思う。 お箸の持ち方で怒られ、手を叩かれ、父に担がれ、電気の消えたトイレに閉じ込められた。暗くて狭くて、怒られた原因のお箸を握っている私の記憶。 集合住宅に住んでいた。 玄関から一歩出ると微笑ましい家族に見えてただろうけれど、家の中では、いつ父の、母の、怒りのスイッチが入って矛先が兄や私に向かうのか、その法則が分からなかった。 いつも何で怒られ […]

デジタル遺産として子どもに遺したい

ブログ開設のきっかけは子どもと私の命 このブログを開設したきっかけは、 毒親と絶縁した 子ども②は「がん患者」である事を知らない 子ども①は「がん患者」であることしか知らない 私の死後、子ども①②と夫が毒親に傷つけらぬよう 起きた事を綴っておきたかった いつか子ども①②が成長した時、 過去、我が家に「大事(がん告知)」が起きていたのは、きっと覚えているだろう。いつか詳細を知りたくなる日がくるかもし […]

娘が、がんと知った時、母は「私の老後がなくなったのね」と言った

娘が「がん」とわかり母は私の老後がなくなったのね そう、毒母は間違いなくそう言った。 ん? 私が代わってあげたいとか、私の心や体調を心配するより前に、母自身の「老後の不安」が真っ先に口に出るの? くう、かなりの毒親っぷりだ… その時の私は「共依存」で「洗脳」状態だったから、母の期待に添えない自分が不甲斐なく、母に申し訳なく思った。何なら私がいなくなった後の母の悲しみを先に想像してしまったくらいだ。 […]

卵巣嚢腫の手術で終わりと思っていた

意を決した卵巣嚢腫の腹腔鏡手術 後に10時間超えの手術をするなんて知らないから、私的には人生の一大事で、清水の舞台くらいの決心で、d当時務めていた会社に事情を伝え、最短の手術日を予約した。 その時はまだ希少がんと告知される未来を知らないから、退院後2週間ほどでの職場復帰の予定を伝えていた。 そんな短期間で本当に復帰できるのぉぉぉ?と思いつつ、私の入院中の子どもの習い事や宿題の予定が気になった。 母 […]

毒親編はじめます

毒親というパワーワード 毒親と聞くと、暴力ネグレクト等の肉体的虐待事件のような、ニュースで目にする事件関連を思い浮かべる人も、まだまだ多いのではないでしょうか。 ニュースになる事件の場合、親を「毒親」と呼んでも、納得してもらえる言葉だと思います。 しかし、目に見える肉体的虐待を受けていない場合、他者に両親の事を「毒親」と表現し話をするのは気が引ける自分がいるのも事実です。パワーワードかなぁと… 父 […]

その頃のファッション

毒母はなかなかのお洒落さんでした 母はお洒落なママさんでした。 ミシンも得意で、よく洋服を作ってくれました。「売ってないけど、こんなのが欲しい」とお願いすると、生地屋さんに連れて行ってくれ、一緒に選びドンピシャ可愛いお洋服をさらりと作ってくれる凄いママンでした♪ キティちゃん柄のフレアスカート(広げると360度になる、くるくる回りたくなるやつ)♡ 家庭科で使うエプロン・三角巾・入れるバックはキキラ […]

毒親育ちmochiと申します

はじめまして♪ 毒親育ちです、mochiと申します。 アラフィフ、お子①②の母で妻(2020.02現在) 父母兄+両親族に『絶縁状(内容証明郵便)』を送り、全ての関係を断ち生きています。 しがらみから解放され6年目( ´艸`)イエイ ♡ 兄による性被害を父母に訴えるも取り合ってもらえず(30代) がん患者となっても毒親っぷりが変わらず(孫を養子にしろ等) 父母に絶縁を宣言(40代) 父母兄、親族に […]

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