絶縁

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無償の愛とは一体何だろう

無償の愛について考える 団地に住んでいた頃 家は一階で、ベランダから庭に降りれる階段があり、団地内の広場へ行き来ができる造りになっていた。兄が幼稚園に通い始め、母にもママ友が出来、遊び友達もできた。 服編で述べた、双子コーデのお友達も兄の幼稚園を通じてお友達になったのだ。 双子コーデのお友達 彼女はクオーターで、大きな英国犬を飼い、映画のセットのような、花柄の壁紙、洋風の家具、洒落たティーカップ、 […]

一番古い怒られた記憶

一番古い記憶は暗くて狭いトイレ 多分、あれは3歳頃だったと思う。 お箸の持ち方で怒られ、手を叩かれ、父に担がれ、電気の消えたトイレに閉じ込められた。暗くて狭くて、怒られた原因のお箸を握っている私の記憶。 集合住宅に住んでいたので、玄関から一歩出ると微笑ましい家族に見えてただろうけれど、家の中では、いつ父の、母の、怒りのスイッチが入って矛先が兄や私に向かうのか、その法則が分からなかった。 いつも何で […]

デジタル遺産として子どもに遺したい

ブログ開設きっかけは子ども このブログを開設したきっかけについて書いておきますね。 現在子ども②は私が「がん患者」である事を知りません。 いつか子ども①②が成長し、 あの時母は何を思い生きていのだろう?と思う日が来るかもしれない。子ども①には「がん」である事しか伝えておらず、治療の選択等の詳細は伝えていないから、知りたくなる日がくるかもしれない。その時に私が生きている保証は無い。 子ども①②に、父 […]

娘が、がんと知った時、母は「私の老後がなくなったのね」と言った

娘が「がん」とわかり母は私の老後がなくなったのね そう、毒母は間違いなくそう言った。 ん? 私が代わってあげたいとか、私の心や体調を心配するより前に、母自身の「老後の不安」が真っ先に口に出るの? くう、かなりの毒親っぷりで気が遠くなりそう… でもその時の私は「共依存」であり「洗脳」状態だったから、母の期待に添えない自分が不甲斐なく、母に申し訳なく思った。何なら私がいなくなった後の母の悲しみを先に想 […]

毒親編はじめます

毒親というパワーワード 毒親と聞くと、暴力ネグレクト等の肉体的虐待事件のような、ニュースで目にする事件関連を思い浮かべる人も、まだまだ多いのではないでしょうか。 ニュースになる事件の場合、親を「毒親」と呼んでも、納得してもらえる言葉だと思います。 しかし、目に見える肉体的虐待を受けていない場合、人に両親の事を「毒親」と呼び話すのは気が引ける自分がいるのも事実です。パワーワードかなぁと… 父母を毒親 […]

その頃のファッション

母はなかなかのお洒落さんでした 当時のどかな田園のなかで、母はお洒落なママさんでした。 ミシンも得意で、よく洋服を作ってくれました。売ってないけど、こんなのが欲しい、とお願いすると、生地を一緒に選んで、好みの服をさくっと作ってくれました。 覚えているのは、キティちゃん柄のフレアスカート(広げると360度になる、くるくる回りたくなるやつ)! あと、家庭科で使うエプロン・三角巾・入れるバック、これをキ […]

物心ついたあたりを書いてみる

私はもともと、一つの物事に没頭しやすいタチであった。 大好きだったリカちゃん人形 たとえば、リカちゃん人形の洋服が何着か増えてくると、ハンガーが足りなくなる。針金をワイヤーで曲げ、お人形用のベビーカーに紐を通し、お人形さんが寝るスペースに、リカちゃんのお洋服を全部つるしマイクローゼットを自作し、洋服の種類別に並べて、眺めてニヤニヤしていた。 いずみちゃん(リカちゃんのお友達)の髪をセルフカットした […]

毒親育ちmochi、ブログはじめました

はじめまして、毒親育ちmochiと申します。 ブログはじめました。 ・毒親に絶縁を宣言し、解放され解毒にいたるまで経緯 ・機能不全家族に産まれ、父母に長年の精神的肉体的虐待、兄による性暴力により、複雑性PTSDと診断され治療中 ・がん患者(悪性腹膜中皮腫・希少がん)患者でもあります これらを軸に、ブログに綴ってみたいと思っております。 不慣れで読みづらいかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたし […]

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