孫と出くわした毒母と、私が絶縁を選択した心
孫と出くわした毒母 一昨日(1/13)、子ども②が我が家を出たところ、目の前の道を歩く毒母と目ががっつり合ったらしい( ̄ー ̄ )。 それはね、我が家と実家がめっちゃ近すぎるのが原因なのですが…(街でみかけた母の背中) 内心「やばっ」と思ったそうだが、冷静に気がついてない素振りで、そのまま毒母の前を歩き数メートル先の角を曲がった。 イヤフォンをしていたから、背後から母が子ども②に声を掛けたのかどうか […]
by 毒親育ちmochi
孫と出くわした毒母 一昨日(1/13)、子ども②が我が家を出たところ、目の前の道を歩く毒母と目ががっつり合ったらしい( ̄ー ̄ )。 それはね、我が家と実家がめっちゃ近すぎるのが原因なのですが…(街でみかけた母の背中) 内心「やばっ」と思ったそうだが、冷静に気がついてない素振りで、そのまま毒母の前を歩き数メートル先の角を曲がった。 イヤフォンをしていたから、背後から母が子ども②に声を掛けたのかどうか […]
私の母は過干渉タイプの毒親であった。 娘の「ぜんぶ」を把握しておかなくては安心できない人だった。 母にとって子供にプライベートは存在しない、少なくとも過去の私の育った環境はそうだった。 日記を勝手に見ても、黙っていれば私は気がつかないのに「あんた〇〇ちゃんに家のこと話してんのね、みっともない」と言うからバレる。 「人の日記を勝手に見ないで」と言うと「子供の事を知る権利が親にあるの、隠さなきゃいけな […]
2021年の母の日、 今年も実母へ何もせず平和に終わった♪ 備忘録的な話でもあるのだが、前日、傘をさしている前を歩く人の歩き方に「ん?」と思った。傘を肩にかけているのか腰から下しか見えないのだが、それでも父ではないか?と思い当たる悲しいかな娘な私。 父だとしたら、振り返られたら逃げ道のない細い一本道、念が通じたのか振り向かれずに済み、面倒から免れてラッキーな透明傘の私。 2021.05.09、母の […]
私は毒親育ちの癌患者 奇跡の9回目の夏がやってきておりますよーん♪リビングも楽しくてウキウキですし。(よろしければご覧くださいませ→■) 自分の思考だけでは煮詰まる夜もある、楽しい会話は脳がリラックスするのかな?頭の中にポンポン楽しい案が浮かんできて実行したくてワクワクが増える。 私は毒親育ちで癌患者。余命2年と言われたけれど、9年目を生きている希少がんサバイバーでもある。 だから子供①が大学生に […]
昔はよく父が孫を連れ出かけていた。 父は孫たちを何かと「食事」と「散歩」をセットで誘う、孫も喜んで出かける、実際楽しかったようだ。 母もこれを「喜んで」いた。私と二人で出かけられるから。 ドレスアップし母の知っている「洒落たレストラン」でランチをし、「話したい日々の不満」を思いの丈私に話せるから。 高価なランチをご馳走したのよ、私は優しい母でしょ?ねぇ娘、うれしいわよね?と言わんばかり食い気味に、 […]
今年(2020年) 子ども①への手紙とお金がポストに入っていた。 開封するか否か、については、子ども①に判断を委ねた。私は口出ししないから、好きなようにして、と。 子ども①が、中身をみて判断したい、と開封をしたら、現金と、父からワープロで打った手紙が入っていた。 子ども①へ贈るおじいちゃんからの言葉 「神・義・礼・知・信」この言葉を深く理解して行動すれば、人として信用・信頼され、社会に貢献・活躍出 […]
「傘寿春の乱」「翌年の絶縁宣言の春」 ときて、もう一度翌々年の春、夫の勤務先に電話があった。 父「子ども①の進学について、結果はどうだったのか?待っていたけれど連絡がないのだが、一体どうなっているんだ?(連絡するのが当然との事)」 夫「以前も言いましたが、こちらから申し上げることがない限り、連絡はしません。特に現在緊急でお知らせすることはありませんが」 父「夫くん、逃げちゃダメだ!(シンジ君かな? […]
ブログ開設のきっかけは子どもと私の命 このブログを開設したきっかけは、 毒親と絶縁した 子ども②は「がん患者」である事を知らない 子ども①は「がん患者」であることしか知らない 私の死後、子ども①②と夫が毒親に傷つけらぬよう 起きた事を綴っておきたかった いつか子ども①②が成長した時、 過去、我が家に「大事(がん告知)」が起きていたのは、きっと覚えているだろう。いつか詳細を知りたくなる日がくるかもし […]
娘が「がん」とわかり母は私の老後がなくなったのね そう、毒母は間違いなくそう言った。 ん? 私が代わってあげたいとか、私の心や体調を心配するより前に、母自身の「老後の不安」が真っ先に口に出るの? くう、かなりの毒親っぷりだ… その時の私は「共依存」で「洗脳」状態だったから、母の期待に添えない自分が不甲斐なく、母に申し訳なく思った。何なら私がいなくなった後の母の悲しみを先に想像してしまったくらいだ。 […]