希少がん

毒親育ちで希少がん患者、という私

ブログに自分の「負」の部分、 「毒親育ちで希少がん患者」というリアルを綴る事。 うーん、まぁきっかけはデジタル遺産として子供に遺したい・遺す家族への毒親の説明書、であった。 でも綴っているうちに、これに解毒効果がある事に気がついた。SNSの海へ「毒」を投げ捨てる感じ? 時系列で書いている時にね、あの話もこの話も…、なんて「親にされて悲しかった、悔しかった事」が次々浮か浮かぶけど「公開ボタン」をポチ […]

自分の意思が介在しない生き方をしていた私

毒親と絶縁し、 月日が経てば経つほど、解毒が進んでいる実感がある。 心が落ち着き、自分と自分の周りに目がむいてきた驚き( ´艸`) ♪ 母の都合を優先してしまう私だったから、 一週間の予定は乱れがちだった。 子どもの習い事等の送り迎えは予定通りに繰り返される。 だがそこにギチギチで母の予定がいきなり入り込む。電話やメールに加え、突然家に「買い物行かない?」とやってくるパターンもあってね断れなかった […]

毒父とすれ違い解毒加減を知った

一昨日、父と街ですれ違った。 車一台がやっと通れる幅の道路、互いに「あっ」とわかってしまうのはDNAのなせる技なのだろうか。一本道、父が向こうからやってくる、父も私も「一人」だ。 以前オットが絶縁を宣言しに実家に行った帰りの際(毒親との決別は、苦渋の決断だ)、父はオットを玄関外まで送った時に「やっぱり、原因は母さんか?」と聞いたそう。オットは「はい」と答えたという。 その話をオットが帰ってきて聞か […]

今日は私の人生が大きく変わった日

2012年の今日、4月12日は 私が希少がん(悪性腹膜中皮腫)と告知を受けた日、 そして毒親と「生涯決別」の実行を迷っていた私の背中をポーンと最後に一押しした「父の誕生日(私から毒親を捨てた日)」でもある。 なので「今日」という日は、 私の人生が大きく方向を変えるきっかけになった日であり、生きている限り忘れる事のない日なのだろう。 今日からの私は、「10年目の希少がんサバイバー」となった。うん、い […]

心細く見送った毒母の背中、過去の健気な私

私は毒親育ちのがん患者。 もうちょっと言うと「希少がん患者」、2012年の春にがんが見つかった。6月に開腹術を行い、約1ヶ月入院生活を送った。(中皮腫の手術から現在にいたるまでざっと書いてみた) 春はね本当に胸がつまる記憶が多いいんだ がん告知(希少がん告知を受けるその瞬間まで) がん告知直後(おかしいなあと思った診察の順番) 帰宅後から(家から一歩も出られなくなった) お子養子&学費出す問題(毒 […]

毒に囚われてないよ?放出してるの

毒親問題、根深いよね。 みな今の自身の環境を軸に語るから、 親なんだから許してあげなよ 親だって親になるのが初めてだったんだから がんなら尚更親に連絡とってあげなよ(私がん患者なんです) 絶対心配しているよ 親がかわいそうだよ いつまでも過去を根に持たない 恨んでいたって何も変わらない 等々のお言葉を頂戴してきたけど。 私はブログに親への恨み節を綴っているわけではないの。 過去の「事実」をすくい上 […]

生い立ちを告げる事が幸せに繋がらないリアル

生い立ちを、病気を、告げる事 これは絶縁により「私の環境」は改善されたが、それを伝える事は、私の幸せに直結するする訳ではないというお話。 毒親との絶縁を決意し実行できたのは、やはり「希少がん」に罹患し今後も「完治しない」とわかって考え方がすっかり変わったからだとは思う。 でもちょっと遡り、パンドラの箱の中身が開いた、あの日がなれけば、もしかしたらほそぼそ付き合っていたかもしれない、 がんの進行が早 […]

毒親と中皮腫(希少がん)について

100投稿、区切りがよかったのだと思います。 【毒親育ち|楽していこう】(当ブログ)で、 約50年という私の人生を綴ってきました。 何度自分に問いかけても、 やはり答えは一緒でした。 毒親から絶縁する起爆剤が悪性腹膜中皮腫(希少がん)宣告後の私をとりまく肉親とのやりとで、感じた絶対的な理不尽さでした。 だからこそ絶縁へと歩を進めることができました、ですがそれには痛みが伴い、複雑性PTSDの治療とい […]

デジタル遺産として子供に遺したい

きっかけは子供に遺したかった このブログを開設したきっかけについて書いておきますね。 いつか子供①②が成長し、 あの時母は何を感じていたのだろう?だったり、子供②には病気を伝えていないし、子供①にも詳しくは伝えていないから、知りたくなる日がくるかもしれない。 そんな日が来るかもしれないし、こないかもしれないけれど、詳細まで手紙に残しておくには、私の生存期間により「分量」も変わってくるので、そのため […]

家から一歩も出られなくなった

そう家から一歩も出られなくなる 実際にがん拠点病院へ診察をお願いする運びとなって程なく、私は引きこもっていた。泣きながらパソコンに向かい、ひたすら「中皮腫 腹膜中皮腫 余命 予後」等のワード検索をし続けた。情報が少なすぎて、論文も読んでみた。 7年前、ブログを開設している中皮腫の方はさほど多くなく、開設していても更新されていない、もしくはご家族が代筆し幕を閉じているものに目が止まる。 自意識を持ち […]

中皮腫の手術から現在にいたるまでざっと書いてみた

中皮腫の手術から現在まで 4月16日  総合病院でPET検査を受ける 初めてのPET検査。まず初めに検査薬を点滴する。腫瘍に目印をつける目的だそう。点滴後、個室へと案内される。可愛らしい壁紙とふかふかのリクライニングチェア。動かす部分に検査薬に含まれている糖が集まるので、音楽を聞くのはいいが、スマホや映像をみるのは禁止。1時間ほどそこで、検査薬が体内にめぐるのを待ち、検査をうけるのだ。 4月17日 […]

おかしいなあと思った診察の順番

そう、前回書いたが、4月12日 14時頃 これが診察予約だった。 なかなか呼ばれない診察の順番 診察待合室はたくさんの母子、もしくは、女性でいっぱいだった。16時になっても呼ばれず、一度看護師さんに確認に行くと、「うん、予約はちゃんと入っているから安心してね。まっててね」というので、今日は混んでるのかと思い椅子に戻る。 でも後から入ってくる人が先に呼ばれるし、17時になった時点ではもう私を含めて3 […]

希少がん告知を受けるその瞬間まで

術後、退院までは順調に回復していき、日程通り退院への運びとなりました。 腹腔鏡手術は回復が早いとはいえ 内臓を切る痛みが初めてなので、「痛みが少ないですよ」「回復も早くて楽ですよ」と言われていたものの、私の比較対象は出産と親知らずを三分割に割って取り出した時しかない。しかしきっと人並みなのだろうが、痛みの記憶は長引かないもので、案外けろっと忘れているものだ。 よって、私の比較対象は当てにならず…、 […]