私の努力と、毒親が頑張る方角の違い

2021年の母の日、 今年も実母へ何もせず平和に終わった♪ 備忘録的な話でもあるのだが、前日、傘をさしている前を歩く人の歩き方に「ん?」と思った。傘を肩にかけているのか腰から下しか見えないのだが、それでも父ではないか?と思い当たる悲しいかな娘な私。 父だとしたら、振り返られたら逃げ道のない細い一本道、念が通じたのか振り向かれずに済み、面倒から免れてラッキーな透明傘の私。 2021.05.09、母の […]

毒について語る夜もあるって話

私は毒親育ちの癌患者 奇跡の9回目の夏がやってきておりますよーん♪リビングも楽しくてウキウキですし。(よろしければご覧くださいませ→■) 自分の思考だけでは煮詰まる夜もある、楽しい会話は脳がリラックスするのかな?頭の中にポンポン楽しい案が浮かんできて実行したくてワクワクが増える。 私は毒親育ちで癌患者。余命2年と言われたけれど、9年目を生きている希少がんサバイバーでもある。 だから子供①が大学生に […]

口火はいつだって母、毒母が苛立たなければ争いは起きない

毒母が苛立たなければ争いは起きない お盆がやってきますね、日の並びによっては少ししかないお盆休み。 実家は関東、七月がお盆なのでお坊さんは七月に来ていました。そして家族で巡る恒例のお墓参りも七月、なので迎え火と送り火は本来は七月なのだ。 で・も・ね、お察しの通り八月も行くんです、お墓へ。あ、ちなみに私はお墓参りが苦手です。お盆の最中大渋滞の中、海へ山へ行くだろう荷物を乗せた車に混じり、イライラして […]

絶縁は心の断捨離、思考回路が変わったよ

毒親と絶縁して4年目、心の断捨離だった 母の傍若無人ぶりは予測がつかず、墓守として孫(私の子供)を養子にしたいなど、なかなかな角度から理不尽かつこれが正しいという自信に満ちた無理難題を私に押し付け、我を通そうしては、度々大きな喧嘩に発展し「冷却期間」を設け、私が許すという不毛なプチ絶縁は何度かあった。 だが決定的だったのは、「もう絶対に無理」なことを母が電話で提案してきて、私が怒りに震えNOと言っ […]

毒親に洗脳されていた実感と異常さ

毒親に洗脳されていた実感 機能不全家族である父・母・兄と絶縁し3年目となる。 絶縁により毒親である両親を、いや母を、悲しませているだろう罪悪感に揺れ動きマックスきつかったのは正味2ヶ月。この山を超えたらつきものが落ちた感じになっていった。 この罪悪感こそが「洗脳」されていた状態、申し訳ないと「思うように洗脳されていた」のだ。 それを実感するのは、私が希少癌である悪性腹膜中皮腫と癌告知された日、真っ […]

屈託なく生きるはずの子供時代は私の心身の傷跡

私の心身の傷跡である複雑性PTSD 落ち着いたかな?もう平気かな?そんな風にすっきりウキウキ晴れやかな日もあれば、蘇る黒さが心の真ん中にモヤリンと鎮座してどいてくれない日もあるのだ。 癌細胞と同じで、私が頑張れば、はたまた努力や修行を重ねれば消え去るものではない。 私にできることは、叩いても亡霊のようにしつこく心のドアを無神経に開けてくる「黒」を、再び叩き焼き尽くす作業を繰り返すという「対処」しか […]

毒親との終わらないループを切った話

毒親育ちなんだなぁ、 そう感じる日もあるけれど、でもやっぱり実家という家族から離れた事は正解だったと実感する日の方が遥かに多くて、あの時頑張った「私よえらい」と褒めてあげています。 永遠に終わらない負のループをぶった切り、親子の縁を切った私。 母の言う血の繋がりなど、心が繋がっていなければ、いくら持ち出したところであっさり切れてしまうものなのだ。 でもね「親」なのだ。 生まれて初めて本能のまま身を […]

珍しく父の毒を思い出した夜

今は誰かがイラついた声で 話しかけたり不機嫌をドアや階段にぶつける音を聞かないで済む平和な時が過ぎていて、それをちゃんと私は認識している。 でもふと、本当にふっと「幼い私」や「悔しい私」が ねぇねぇ、私の記憶はまだ癒されてないよ?忘れてない? そんな天真爛漫なテンションで急に顔を覗かせるから気が抜けない(笑)。そうだなぁ、とぼんやり真っ暗な夜空を見ながら思い出すのはやっぱり「あの家」の記憶。(よろ […]

あの人達は以前家族だった加害者

私は機能不全家庭に育った、 いわゆる毒親育ち。複雑性PTSDと診断され治療をはじめて2年が過ぎた。(よろしければこちらをどうぞ↓) 家族が元通りになるのは不可能な毒 日常生活でふと、天候や光景や言葉が発端となってフラッシュバックが起きる。抗不安薬を追加したほうが良い時と、すこし経てば大丈夫そう、その感じが掴めてきた。 振り返ればきっと癌と わかったあたりから心身は限界だったのだろう。けれどあの時は […]

散々してやった[毒母]vs一つだけ残した[私]

母はよく人間死ぬ気になったら なんでもできる、と口癖のように言っていた。それは主に、子供が死を選択したニュースに触れる時である。 私はつい反論してしまう「死を選ぶ方が楽だと思うほど現実が辛い人も世の中にいるんだよ?」と。 母はきっとタフネスなんだろう、そんな事で死ぬくらいだった他にやれる事があるはずだ、と言い切るのだ。 たまに「病気を苦に心中」 というニュースを聞き子供だった私は、お母さんが子供を […]

娘を拳で静止しようとする毒父

やがて私も就職をした 「母の紹介」する会社へね。 就職をし、残業の日もある。これがまた、母の心を刺激する。 「仕事を言い訳に遊び歩いているんじゃ無い?」とね。 さっさと夕飯を食べ、お風呂に入って眠りたい、と思い帰宅するが、待ってました、とばかりに母が「本日の愚痴」を添え夕飯を温めてくれる。 さあ、明日も仕事だ、 ...

夫と交際が始まったのは毒親がきっかけ

母は夫が嫌いだ(多分) 一番は、母から私を「奪った人」だから。二番は、夫の実家が「平和」で「普通に家族が仲良し」だから。 夫がまだ大学生の頃、 私も短大生で、バイト先で知り合った。 穏やかだが、たまにぐうの音も出ないような、意地悪な切り返しをしたり、話題の引き出しを多く持っていて、面白い人だなぁ、が第一印象。 実家から通えない距離では無いが、少し遠いという理由で、大学後半は、一人暮らしをしたいと、 […]

毒親の希望する孫の進路とは

「傘寿春の乱」「翌年の絶縁宣言の春」 ときて、もう一度翌々年の春、夫の勤務先に電話があった。 父「子供①の進学について、結果はどうだったのか?待っていたけれど連絡がないのだが、一体どうなっているんだ?(連絡するのが当然との事)」 夫「以前も言いましたが、こちらから申し上げることがない限り、連絡はしません。特に現在緊急でお知らせすることはありませんが」 父「夫くん、逃げちゃダメだ!(シンジ君かな?) […]

毒親が喧嘩する姿を思い浮かべるのは容易なこと

春、夫の口から絶縁を宣言し 「今後、家族への接触は、一切しないでください。ポストへの手紙もやめてください。何か緊急の連絡が必要な場合は、私(夫)が窓口となります。」と告げた。 夏の終わり、 ポストに手紙が入っていた。母の字だった。 窓口である夫が開封し手紙を読んだ。 父が柿の木を剪定中、落ちて怪我をし骨折をした、気が動転して先生の説明を聞き逃すといけないので、貸していたICレコーダーを返却して欲し […]

毒親との決別は、苦渋の決断だ

絶縁宣言から一年経った春の頃 夫の務める会社の代表番号に伝言を3回残した両親。4度目の電話に夫が出た。(絶縁から電話に至るまで、詳しくはこちらからどうぞ↓) 絶縁から半年後、毒母の手紙がポストにインしてた 前置きになるが 絶縁をした「傘寿春の乱」の後、母と2度接触があったことを心療内科の先生に伝えた。(傘寿春の乱、詳しくはこちらからどうぞ↓) 私から毒親を捨てた日 先生曰く、私は「複雑性PTSD」 […]

母を父を、毒親と呼ぶ切なさ

好んで、両親を毒親と呼んでいるわけではない 通常の家庭での「しつけ」「教育」とは根本の異なる、 例えるならば反撃できないと分かっている弱い子供をターゲットにする悪質な「いじめ」が、家庭内で起きている状態。 暴力であろうが、暴言だろうが、無視だろうが、自力で生きていかれない年齢の子供に行うのは「虐待」以外の何物でもない。 ではなぜ「毒親」「毒父」「毒母」と私が呼ぶのか 幼かろうが、自尊心はある。しか […]

それでもまた依存先へ戻ってしまう

共依存の状態は厄介なもので 一緒にいるのは窮屈なのだが、離れるのも不安になる。 本当の意味で「独り」で人生を立っていないから、 親の言う、「困った時」に助けてくれないと怖いから、という呪詛に怯え、二人で一人のような母と私であったから、離れるのは精神的に不安で怖くて出来ない(と思い込んでいた)。 激しい怒りの言葉の暴力を受けてきた経験から 毒母が怒った時は、「早く」「私から」「仲直り」を申し出ないと […]

自分の親が毒親、毒母と感じるまでには

圧倒的「理不尽」な教育をされてきたはず。 私はどうやって毒親だと気がついたのか 叱る基準がコロコロ変わる、親の予定を優先しないと、食事やお小遣いなどで締め付ける、毒親家庭で育った人には「あるある」なことだけど、程度の差こそあれ「理不尽」に変わりはない。 言うことを聞いても、隠し切れない子供の発する「嫌そうな態度」を敏感に感じ取り、言うこと聞いたのに、不機嫌になり怒られる、あるいは家庭内で無視という […]

母の毒っぷりの加速と、解毒、解放へのはじめの一歩

母の毒っぷりの加速はあの家 失敗だったと思う、引越し 私が10歳の頃、山間部の頂を開発した、新興住宅街に家を購入した。庭付き一戸建てだ。(※中古住宅であることが後の結婚後の私への母の嫉妬に繋がることをちょとっこ覚えていてね※) 兄は中1、私は小3だった。学年のキリの良い新学期に、我が家は団地よりはるか田舎に居を構えた。 今思い返してもてもあれは失敗だったと思う。 幼稚園から中学卒業まで、一校づつし […]

無償の愛とは一体何だろう

無償の愛について考える 団地に住んでいた頃 家は一階で、ベランダから庭に降りれる階段があり、団地内の広場へ行き来ができる造りになっていた。兄が幼稚園に通い始め、母にもママ友が出来、遊び友達もできた。 服編で述べた、双子コーデのお友達も兄の幼稚園を通じてお友達になったのだ。 双子コーデのお友達 彼女はクオーターで、大きな英国犬を飼い、映画のセットのような、花柄の壁紙、洋風の家具、洒落たティーカップ、 […]