絶縁後

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毒親よ、さようなら、どうぞお元気で!(最期の手紙・全文)

最期に一通、毒親へ手紙を送ることにした 絶縁を決めたのは私、夫の洗脳じゃないよ♪ 絶縁通知書(全文) 毒親と親族へ、絶縁状を送った反応(約2ヶ月後) 最期の手紙(全文) 先月は突然絶縁状をお送りしたにも関わらず、皆様お受け取り下さり誠にありがとうございました。 驚かせてしまいましたこと重ね重ねお詫び申し上げます。 実は絶縁状は着信拒否を全て解除してから投函しました。それは、一方的に私の意見を送りつ […]

絶縁通知書(全文)

絶縁通知書(全文) ○はじめに 2017年3月、父母へ絶縁を通知しております。 2018年3月、「診断書のコピー」を、夫が父母に手渡した際、再度「絶縁」の意志を伝えております。 ○送付先 父(梅二夫) 母(梅二) 兄(梅二長男・海外住所) 桃四・松一妻 竹三妻 松一長女 松一次女 竹三長女(以上9名)となります。 【表記について】  ○父(梅二夫)○母(梅二)○兄(梅二長男)○私(通知人・毒親育ち […]

毒親と親族へ、絶縁状を送った反応(約2ヶ月後)

2022年の雛祭りの日、父母兄と親族に絶縁状を送った あの日私は”父母兄、父母の親族”に「絶縁状と絶縁通知書」を送るため早朝から郵便局にいた。 内容証明郵便と書留郵便で送ったので受取日時が確認できる。 早い人で翌日4日の午前中、遅い人でも6日に配達は終了した。 反応は、松一次女から「何かあった?」とメールが来た事と、父の弟の奥さんである叔母から手紙が送られてきた、のみであった(3月)。 絶縁通知書 […]

絶縁状を送付してから約1ヶ月経ちました

絶縁状を父母兄・親族へ 送付したのは、2022.03.03でした。 そろそろ1ヶ月ほどになりますね、はやい∑(゚Д゚)。 海外住みの兄へまだ届いていないですが、今更「何かしら家族間の改善」や「謝罪」を求めているわけではないので、まぁいずれ届けばそれでいっか、と思っています。 兄以外の皆様へは届きました。 届いた方々がどう感じたか、それはわからないけれど… 長年、母に背負わされていた荷物を ほぼ手放 […]

毒親育ち、育てた恩を仇で返す非情な娘

毒親育ち、父母と絶縁し丸5年 それこそ2017年に私から「絶縁を告げ」て以降、一度も父母と「会話を交わしていない」。 夫が診断書のコピーを渡しに実家へ行った時も、父母は「なぜ私が絶縁を決め行動に移したのか」については聞いてこなかったらしい。夫が玄関を出て帰る時、父がそっと「やっぱり母さんか?」と聞いたらしい。 その話に、私と子ども①②は涙ぐんだ。 少しかもしれない。けど、少しでも解ってくれていたん […]

絶縁通知書

絶縁通知書を書留で送付しました 2022年3月3日に、内容証明にて絶縁状を、 書留郵便にて、内容証明の文字数では伝えきれなかった絶縁に至った詳細の説明である「絶縁通知書」を郵送しました。 実際に送付した文書のデータです↓ 毒親と親族と父実弟へ 送付範囲は、父・母・兄・桃四・松一妻・竹三妻・松一長女・松一次女・竹三長女・父実弟+警察署へ提出分と私保管分、全部で12冊、作成しました。 ※父と母、松一妻 […]

絶縁を決めたのは私、夫の洗脳じゃないよ♪

さぁて、私の人生「春」に分岐が多い 昨年の春は平和だったのだが、2022年3月3日『ひなまつり』、やはり決断の春となりました。(今までの春→よろしければ♡) 絶縁状を父母兄、親族全員へ一斉郵送しました 絶縁状(内容証明郵便)→父母と親族全員、兄は海外なので国際書留 絶縁通知書(書留)→同上 暴力被害報告書(書留)→父母、兄は国際書留 ⇧上記全書類を警察署へ提出済み(2022.3.) 送付は2022 […]

孫と出くわした毒母と、私が絶縁を選択した心

孫と出くわした毒母 一昨日(1/13)、子ども②が我が家を出たところ、目の前の道を歩く毒母と目ががっつり合ったらしい( ̄ー ̄ )。 それはね、我が家と実家がめっちゃ近すぎるのが原因なのですが…(街でみかけた母の背中) 内心「やばっ」と思ったそうだが、冷静に気がついてない素振りで、そのまま毒母の前を歩き数メートル先の角を曲がった。 イヤフォンをしていたから、背後から母が子ども②に声を掛けたのかどうか […]

私の存在を消し、親戚付き合いを再会した毒母

今までの経緯は↓こんな感じ 今年、2022年の春で絶縁から丸5年、そして6年目へ入る。同じく春には悪性腹膜中皮腫(希少がん)と告知されてから丸10年、11年目を生きられる…ハズ…うん、その予定である。そして余命から7年過ぎた。 とはいっても、私の体内に取りきれなかった悪性腫瘍が今もなお存在しているので、がん拠点病院に通院している。 絶縁後の毒親はね 数回は私たちにコンタクト(多分現金が入った手紙っ […]

毒抜き後、生き直しを試みた昨年

2021年は毒親からの解毒後5年目 二人の子どもも大学生となり、私だけの時間が大幅に増えたので、せっかくなら私自身を生き直してみようと思い当たったのである。 思い返せば、習い事も進学先も結婚も子供も、とにかく毒母の希望に沿うように「忖度」し、まるで「自ら選択」したかのように、母なんだか世間体なんだか良くわからない「誰かの人生」を生きてきた私である。 子どもたちは成人となった。 いまでも1番の応援団 […]

毒母が動いたのは、お正月。

母はせっかちで待てない性分である またこの家系図を使ってみたいと思います(笑)。あ、あと年表も場合によっては更新が必要になるかもしれない…(mochi絶縁年表作ってみました) 毒家族と一切の接触を絶ってからそろそろ5年になる。(私から毒親を捨てた日・絶縁から半年後、毒母の手紙がポストにインしてた) 強気のようでいて本当は臆病な毒母 絶縁を伝え私から連絡は一切せず一年が経った頃、堪えきれず私ではなく […]

家族より自分が一番大事、毒親の本音。

スープの冷めない距離に実家がある我が家。 街で出会ってしまう事は仕方がない。越したとて夫の実家も夫の勤め先も変わらないから、新たな住所を親が知ることは簡単なので、越すメリットは「街で偶然出会わない」くらいしかない。 街ででくわす事に関しては、仕方がないと諦めているし、心が痛まない自分を知ったからいいのだけれど。(街でみかけた母の背中・心細く見送った毒母の背中、過去の健気な私) この1ヶ月ほど、心が […]

毒母は誰よりも不機嫌なわがままちゃん

来月、毒親に絶縁宣言し丸4年経つ。 確実に私は良い方向へ変化した。それに呼応するかのように「我が家」もまた確実に家族の仲が良くなった。 例えば不機嫌な態度。受け手である家族は察しつつ普通の対応で接する。決して態度を詰ったり詰問なんて無粋はしないよ? 発信側がもし「さっきはイラついてごめん」って言ったらさ、いーよいーよん♪そんな日もあるじゃーん、どーなっつ食べるかい?ってそんな風に終わるんだ。 今の […]

毒親との絶縁後を生きる現在進行形の私の物語

毒親との絶縁後を生きる私の物語 毒親と絶縁する、もちろん簡単な事ではなかった。 くるりと一度まとめてみた、頭の中の整理整頓の作業。 振り返ると、暴言、暴力、兄による虐待、経済的いやがらせ、これがきっと「家庭が息苦しい」原因だったのだろう。 両親との激しい取っ組み合いの喧嘩は、理不尽さに耐えきれず爆発した私の感情であって、支配から逃げたかったのだと今ならわかる。 両親がちゃんと子供の話を聞いてくれる […]

毒親と絶縁に至る私、絶縁後の毒親の反応は。

毒親と絶縁に至る私、絶縁後の毒親の反応 絶縁したのが2017年3月末、だから今年は丸3年と4ヶ月と数日経ちました。 身も心も嘘のように軽やかになり、心は曇りなく晴々と、そして誰からも責められる事なく自分で決断する自由さを知り、現在に至ります。 毒親と絶縁に至った私ですが、居住地は実家と目と鼻の先。結婚が二十代、絶縁が四十代。結婚当時はまさか親と絶縁すると思っていなかったので(笑) 両親と私たちは住 […]

変化が起きたのは絶縁後

絶縁後に起きた心の変化 まずは、親孝行系イベントに関わらなくなったので心晴れ晴れでございます。 敬老の日は私からも両親にあげていたれど、孫が自主的に渡すようになってからは自然消滅したので、ノーカウントです。 今年の父の日に、私から夫へ洗える涼しいマスクをプレゼントしました。会社用に耳が痛くならないタイプのをね。布マスクを贈る未来があるとは一年前の私に話しても信じないだろうな。 デジタルが発達したお […]

絶縁から半年後、毒母の手紙がポストにインしてた

「絶縁」を叩きつけた後 次に襲って感情は「罪悪感」だった。 毒父、毒母、毒兄、の3人が、私の「トラウマ」について、傘寿で帰国した時に、話し合ったのか、 それ以前に、悪性腹膜中皮腫(あくせい ふくまく ちゅうひしゅ)という希少がんだということを、兄が知っているのかさえ私は知らない。 最後に兄と会話したのは、「トラウマ」の事実確認の時だから、10年ほど前?顔を合わせたのは…うーん、多分15年くらい前が […]

それでもまた依存先へ戻ってしまう

共依存の状態は厄介なもので 一緒にいるのは窮屈なのだが、離れるのも不安になる。 本当の意味で「独り」で人生を立っていないから、 父母の言う「困った時」に、助けてくれなかったらどうしよう…そんな呪詛に本気で怯えていた。私は母と精神が一体化し、母と私で一人の人間のようになっていた。母から離れるのは精神的に不安で怖くて出来ないと、心底思っていた。 激しい怒りの言葉の暴力を受けてきた経験から 毒母が怒った […]

暗黒時代の真っ只中

思い返しても暗黒時代でしかない 曖昧で、薄らぼんやりした、小学校高学年〜中学の記憶。特に「あの家」での記憶全般。 誰かがイライラしては、怒鳴る毎日 家庭内に「どす黒い感情」がそこかしこに転がる日常。もはや家族全員が常に戦闘態勢で、「笑顔」「安心感」などは微塵もなく、 なのに夢のような未来を語る母 機嫌の良いときの母は楽しそうに「未来の家族」について語るのだった。兄は有名大学にはいり、私は女子大か音 […]

母の毒っぷりの加速と、解毒・解放へのはじめの一歩

母の毒っぷりの加速は「あの家」からだった 失敗だったと思う、引越し 私が10歳の頃、山間部の頂を開発した、新興住宅街に家を購入した。庭付き一戸建。(※中古住宅であることが後の結婚後の私への母の嫉妬に繋がることをちょとっこ覚えていてね※) 兄は中学生になっていた。学年のキリの良い新学期に、我が家は団地よりはるか田舎に居を構えた。 今思い返してもてもあれは失敗だったと思う。 街には、幼稚園〜中学は一校 […]