過干渉な毒母、無関心な毒父、その老後は…
私の母は過干渉タイプの毒親であった。 娘の「ぜんぶ」を把握しておかなくては安心できない人だった。 母にとって子供にプライベートは存在しない、少なくとも過去の私の育った環境はそうだった。 日記を勝手に見ても、黙っていれば私は気がつかないのに「あんた〇〇ちゃんに家のこと話してんのね、みっともない」と言うからバレる。 「人の日記を勝手に見ないで」と言うと「子供の事を知る権利が親にあるの、隠さなきゃいけな […]
by 毒親育ちmochi
私の母は過干渉タイプの毒親であった。 娘の「ぜんぶ」を把握しておかなくては安心できない人だった。 母にとって子供にプライベートは存在しない、少なくとも過去の私の育った環境はそうだった。 日記を勝手に見ても、黙っていれば私は気がつかないのに「あんた〇〇ちゃんに家のこと話してんのね、みっともない」と言うからバレる。 「人の日記を勝手に見ないで」と言うと「子供の事を知る権利が親にあるの、隠さなきゃいけな […]
自己を誇大にみせたい欲望 それは偽りの自分だが、言い変えると「理想とする自分」なのかな? 父も母もね、そういう人だった。 社会から見える「父と母の姿」、それに対し「こう見えていて欲しい」という願望。そこに開きがある事にはきっと気がついていたんだと思う。 だって辻褄が合わず綻ぶもん(よろしければこちらも→母の毒っぷりの加速と、解毒、解放へのはじめの一歩)。 兄と私に自分たちの素晴らしさを、「己に酔い […]
母と祖母との関係 よろしければ上記の『mochi家毒系譜』をご覧になられてから、お読み下さるとをわかりやすいかも知れませぬ。 ※母を含む四兄弟の呼称を、長男(松一)母(梅二)、次男(竹三)、次女(桃四)と表記する事があります※ ↓よろしければ関連記事もございます↓ 毒から毒へ負のバトン、毒母の兄弟。 因果応報、毒親は良い結果を生まない 母の実母(私の祖母)は猛毒の持ち主 デフォルトがしかめっ面で、 […]
私は過去毒兄に 肉体的性的暴力を受けた被害者である。しかしながら、記憶は私の脳内で頑丈にロックをかけ奥深くにひっそりと隠すように置かれていたのだ。 そう、私自身その記憶が全くないと疑わない程、慎重かつ丁寧に仕舞われていた嫌悪の塊でしかない記憶。(家族が元通りになるのは不可能な毒) 兄の暴力については記憶があった。包丁を向けられ、首を絞められ、殴られた「死を感じる恐怖」。 だが性的暴力についていは一 […]
毒親育ちである私の毒が抜けた? それともと絶縁状態に慣れた?うーん 「私は毒親育ちです。だから親と絶縁しました」という事実を「隠さなければ」とか「私の人間性が疑われるかも」とか「かわいそうな人」と同情されるかも…という「私の中の世間様の目」を気にしなくなったのは2019年の冬頃だったと思う。 カウコンという幸せな年越し 私は2013年から年末はずっと東京ドームで年を越していた♪(どこへ向かう話?) […]
家族間に緊張の走る毒家庭 私は機能不全家族に育ち、家族間には常に「毒親が発火」するのではという緊張が漂い、叩かれないよう、延々叱られる時間が始まらないよう、血が滲むほど殴られないようにと、不安と不満を心に押込め、場を和ませるピエロ役を買って出ていた。 私の役割は、 母を褒めて機嫌を保つ 進んで家事を手伝い母の機嫌を保つ 頑張って習い後の練習をし母の機嫌を保つ 父と母が喧嘩しそうになると間に入りなだ […]
※本日の投稿は2020年より10年以上前の洗脳されていた過去の私の話。そうご理解いただける方のみご覧くださいませ※ 私は悪くない、悪いのは娘、 毒親と絶縁、すなわちそれは親を捨てる事、育ててもらった恩を忘れ裏切る行為。 母と会いたくないな、実家に夕食食べに行きたくないな、旅行が憂鬱、そう思う私は母の言う「大人になりきれない娘」、だからそんな事を思うこと自体が我がままな勝手な私なのだ、と。 苦しかっ […]
因果応報、毒親のしてきた結果 因果応報、そんな言葉がいとことの電話で出てきました。 母の実母、つまり私や松一次女にとっての祖母。とてもつもない毒の持ち主だと過去にも綴りましたが、散々母を含む四人の子供を感情で振り回し、私たち孫を心えぐる言葉で傷をつけ、好きなように生きていた、そんな印象のままだった私。 ぽつんといとこが言いました、おばあちゃん幸せだったのかなって。 いとこは生まれた時から祖父母の家 […]
毒親と絶縁に至る私、絶縁後の毒親の反応 絶縁したのが2017年3月末、だから今年は丸3年と4ヶ月と数日経ちました。 身も心も嘘のように軽やかになり、心は曇りなく晴々と、そして誰からも責められる事なく自分で決断する自由さを知り、現在に至ります。 毒親と絶縁に至った私ですが、居住地は実家と目と鼻の先。結婚が二十代、絶縁が四十代。結婚当時はまさか親と絶縁すると思っていなかったので(笑) 両親と私たちは住 […]
毒母が苛立たなければ争いは起きない お盆がやってきますね、日の並びによっては少ししかないお盆休み。 実家は関東、七月がお盆なのでお坊さんは七月に来ていました。そして家族で巡る恒例のお墓参りも七月、なので迎え火と送り火は本来は七月なのだ。 で・も・ね、お察しの通り八月も行くんです、お墓へ。あ、ちなみに私はお墓参りが苦手です。お盆の最中大渋滞の中、海へ山へ行くだろう荷物を乗せた車に混じり、イライラして […]
毒親と絶縁の一歩目を探していた 毒親との関係に悩んでいた頃、いきなり絶縁とはいかないけれど「一歩目」を踏み出せるかどうか、可能性について考えることが多々あった。 やはり「頭金」を一括返済し「引っ越す」事しか浮かばなかった。この発想がすでに洗脳から解けていない事は今なら嫌と言うほどわかるのだが、あの当時は頭金を返さなければ「自由に引っ越す権利は私に無い」と本気で思っていた。 絶縁したいけれど頭金とい […]
毒親育ともう一つのブログ 【楽していこう|悪性腹膜中皮腫と沼】で綴った記事ですが、毒親に対して、私の人生に対する考えとリンクする部分があり、もしよろしければこちらもご覧いただけたら嬉しいです。↓ 生きる孤独、繋がる心、玄関のドアを開けるために 長年、毒親である家族が 重い存在であり、気を遣う対象で、そして贈り物というプレッシャーと諭吉絡みの忖度をしながら、なんとか付き合ってきました。期間で言うなら […]
ここ数日、手負いの動物のように 森の奥で一人耐えるイメージで「黒い塊」が薄くなるのをじっと待っていました。ふふふ、薄まりました。ホッと一息。 ふと全く気がつかなかった事に気がついて笑ってしまいました。 兄もまた「毒親を捨てていた事実」 縁を切ったわけではないけど、スマホもスカイプも使わない両親は有料でしか兄と話せない。だから話したとしても基本けちな母は5分くらいで電話を切る。 父とはメールでやりと […]
さてさて今宵も毒親である父の、 記憶がじわりじわりと染み出しております。困りますねぇ、でも仕方ありませんね、とろりと出てくるのは止められません。 度々書いていますが、私は毒兄の記憶をすっかりパンドラの箱に詰め込んでいたので、毒兄ではなく「兄」と思って30半ばまで生きていました。どこかしこに母へ嫌悪を示したようですが自覚はありませんでした。(よろしければこちらもどうぞ↓) パンドラの箱の中身が開いた […]
いとこと電話をしていた、 「あの家」にいとこ家族が泊まったある夏のことを叔母が話していたのを思い出したと言った。 距離がありたまにしか会えないいとこ姉妹と私は仲が良く、泊まる時は1週間程滞在していたので日常生活が垣間見えたのだろう。 兄が何か悪さをし母が 私たち全員の前で叱る、父が帰宅すると母が昼間の悪事を報告する、父は母の話を鵜呑みにし兄の言い分を一切聞かず、母同様に全員の前で怒鳴り叱るのだった […]
今は誰かがイラついた声で 話しかけたり不機嫌をドアや階段にぶつける音を聞かないで済む平和な時が過ぎていて、それをちゃんと私は認識している。 でもふと、本当にふっと「幼い私」や「悔しい私」が ねぇねぇ、私の記憶はまだ癒されてないよ?忘れてない? そんな天真爛漫なテンションで急に顔を覗かせるから気が抜けない(笑)。そうだなぁ、とぼんやり真っ暗な夜空を見ながら思い出すのはやっぱり「あの家」の記憶。(よろ […]
絶縁をする、すなわち 自分が育った家庭から一人抜け出し生きていく決意。人生何が起きるかわからない、何か困った時に頼る先が無いことも覚悟しなくてはならない。 毒親である母から幾度も言われた台詞が私を壊れた家庭に留まらせ続けた。 あんたは友達を大事にするけど、じゃあその友達が一体あんたに何をしてくれるっていうの? あんたがお金に困った時貸してくれるの?万が一貸してくれる友達がいるからって借りたらそこで […]
母はよく人間死ぬ気になったら なんでもできる、と口癖のように言っていた。それは主に、子供が死を選択したニュースに触れる時である。 私はつい反論してしまう「死を選ぶ方が楽だと思うほど現実が辛い人も世の中にいるんだよ?」と。 母はきっとタフネスなんだろう、そんな事で死ぬくらいだった他にやれる事があるはずだ、と言い切るのだ。 たまに「病気を苦に心中」 というニュースを聞き子供だった私は、お母さんが子供を […]
親を憎みたくて生まれた訳ではない 毒親と絶縁して4年目の夏が来ようとしている。 3年前私から絶縁を突きつけ、2年前改めて夫が「絶縁宣言」をしてから2年以上が過ぎた。(よろしければこちらもどうぞ↓) 毒親との決別は、苦渋の決断だ 今では、街ですれ違うなどのニアミスはあったものの、夫の勤め先やマンションに手紙が入っているなどの毒親からの接触は無く、穏やかに暮らしていた。 いとこから電話があった。 毒母 […]
毒親と物理的に会わなくても、 毒親の存在が私の人生にどっかりと存在していたのは4年ほど前までと実に長かった。 まだ3年?絶縁してからは3年だが、その前の一年はほぼ会うこともなく、私の気持ちがだんだん「離れたい」方向へとシフトしていたから。 約半世紀生きたうちのたったの3年、けれど物理的にも心理的にも縁が切れた事による開放感は凄まじく大きなもので、 あれほど嫌嫌時間を割いて会い、顔色を伺っていた数十 […]