私の存在を消し、親戚付き合いを再会した毒母
今までの経緯は↓こんな感じ 今年、2022年の春で絶縁から丸5年、そして6年目へ入る。同じく春には悪性腹膜中皮腫(希少がん)と告知されてから丸10年、11年目を生きられる…ハズ…うん、その予定である。そして余命から7年過ぎた。 とはいっても、私の体内に取りきれなかった悪性腫瘍が今もなお存在しているので、がん拠点病院に通院している。 絶縁後の毒親はね 数回は私たちにコンタクト(多分現金が入った手紙っ […]
by 毒親育ちmochi
今までの経緯は↓こんな感じ 今年、2022年の春で絶縁から丸5年、そして6年目へ入る。同じく春には悪性腹膜中皮腫(希少がん)と告知されてから丸10年、11年目を生きられる…ハズ…うん、その予定である。そして余命から7年過ぎた。 とはいっても、私の体内に取りきれなかった悪性腫瘍が今もなお存在しているので、がん拠点病院に通院している。 絶縁後の毒親はね 数回は私たちにコンタクト(多分現金が入った手紙っ […]
母はせっかちで待てない性分である またこの家系図を使ってみたいと思います(笑)。あ、あと年表も場合によっては更新が必要になるかもしれない…(mochi絶縁年表作ってみました) 毒家族と一切の接触を絶ってからそろそろ5年になる。(私から毒親を捨てた日・絶縁から半年後、毒母の手紙がポストにインしてた) 強気のようでいて本当は臆病な毒母 絶縁を伝え私から連絡は一切せず一年が経った頃、堪えきれず私ではなく […]
ブログに自分の「負」の部分、 「毒親育ちで希少がん患者」というリアルを綴る事。 うーん、まぁきっかけはデジタル遺産として子供に遺したい・遺す家族への毒親の説明書、であった。 でも綴っているうちに、これに解毒効果がある事に気がついた。SNSの海へ「毒」を投げ捨てる感じ? 時系列で書いている時にね、あの話もこの話も…、なんて「親にされて悲しかった、悔しかった事」が次々浮か浮かぶけど「公開ボタン」をポチ […]
2012年の今日、4月12日は 私が希少がん(悪性腹膜中皮腫)と告知を受けた日、 そして毒親と「生涯決別」の実行を迷っていた私の背中をポーンと最後に一押しした「父の誕生日(私から毒親を捨てた日)」でもある。 なので「今日」という日は、 私の人生が大きく方向を変えるきっかけになった日であり、生きている限り忘れる事のない日なのだろう。 今日からの私は、「10年目の希少がんサバイバー」となった。うん、い […]
生い立ちを、病気を、告げる事 これは絶縁により「私の環境」は改善されたが、それを伝える事は、私の幸せに直結するする訳ではないというお話。 毒親との絶縁を決意し実行できたのは、やはり「希少がん」に罹患し今後も「完治しない」とわかって考え方がすっかり変わったからだとは思う。 でもちょっと遡り、パンドラの箱の中身が開いた、あの日がなれけば、もしかしたらほそぼそ付き合っていたかもしれない、 がんの進行が早 […]
2020年もあと少しで終わりますね 新年がやってきますね。 今年は初めてブログを開設した年でありました。ご覧くださり本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。 昨年末、ふと突然に「悪性腹膜中皮腫」という「アスベスト暴露」による「希少がん」患者である私を、ようやく飲み込めた『実感』がやってきたのが開設のきっかけだった。 毒親である母に、癌患者それも希少がんであり、長期生存が難しいであろ […]
毒親と絶縁に至る私、絶縁後の毒親の反応 絶縁したのが2017年3月末、だから今年は丸3年と4ヶ月と数日経ちました。 身も心も嘘のように軽やかになり、心は曇りなく晴々と、そして誰からも責められる事なく自分で決断する自由さを知り、現在に至ります。 毒親と絶縁に至った私ですが、居住地は実家と目と鼻の先。結婚が二十代、絶縁が四十代。結婚当時はまさか親と絶縁すると思っていなかったので(笑) 両親と私たちは住 […]
100投稿、区切りがよかったのだと思います。 【毒親育ち|楽していこう】(当ブログ)で、 約50年という私の人生を綴ってきました。 何度自分に問いかけても、 やはり答えは一緒でした。 毒親から絶縁する起爆剤が悪性腹膜中皮腫(希少がん)宣告後の私をとりまく肉親とのやりとで、感じた絶対的な理不尽さでした。 だからこそ絶縁へと歩を進めることができました、ですがそれには痛みが伴い、複雑性PTSDの治療とい […]
寛解と完治と治癒 寛解:病状が落ち着いており、臨床的に問題がない程度にまで治ったこと。 完治・治癒:まだ再発の可能性はあるが、治療後5年再発しないこと。 私の場合は進行前に偶然発見され、手術の際4〜5個の腫瘍を取り切れていない。だから7年生存しているが、確認できる腫瘍が残っているので「完治」とは呼ばないとのこと。 2012年の春、悪性腹膜中皮腫 (あくせいふくまくちゅうひしゅ)という希少がんだと告 […]
2020年春、オンラインで「会う」 機会が増えた人は多いのではないだろうか。 私は2012年6月、悪性腹膜中皮腫(希少がん)の手術のため入院が決まった時に、ガラケーからスマホへ急いで買い換えた。 当時は私のママ友たちでスマホを持ってるのはちらほらの頃。 理由は、約1ヶ月の入院の間、気になることがあれば病室で検索できるから。 私がエクセルで 子供たちの学校、習い事、必要な持ち物等の表を作っていたら夫 […]
※私一個人の意見です※ 理解いただける方のみ、ご覧ください。 前回の投稿で アスベスト健康被害について綴った。 どの病気にもいえることなのだが、罹患するしない、症状の重い軽い、これらに関しては本当に状況も症状も十人十色なので、考え方も様々だ。 私の考えを押し付ける気はない。 私は「悪性腹膜中皮腫(希少がん)」に 罹患したことを「受け入れる」ことにした。これが私の落とし所だっただけ。それ以外にどう処 […]
自分が悪性腹膜中皮腫(希少がん) に罹患していると知った時。 なんで私が?と正直思った。 アスベスト(石綿)は天然の鉱物繊維、 石綿とも呼ばれるのは綿状の性質があり加工しやすく、熱などに強く安価なため、建設資材以外にも約3000種とも言われる、様々な分野で使用されてきた。 繊維の直径が髪の毛の1000分の1以下、ほぼ見えないほど細く、空気中にふわふわと浮遊したものを知らぬ間に吸い込み、それが体内の […]
日々を、楽しく生きること。 人との関わりの上で、楽しいだけではなく摩擦が起きるのは仕方のないこと。摩擦が起きたときの解決の仕方に、その人らしさが出るのだろう。 それは夫も子どもたちも私も一緒。 だからこそ、せめて家では、個々の意見を全部優先させてあげたい。外で頑張っているのだ、家の中はみなが平等に自分勝手でいられる場所であってほしい。 可愛らしい自分勝手を、 ほんわか眺める幸せ、それが私の日々楽し […]
本日はキャンサーエックス のオンラインセッションに参加しました。 テーマはCOVID-19について。 zoomを使い、患者やその家族もですが、各病院の先生方が登壇され、情報共有、そして意見交換を行いました。 本日の内容を、キャンサーエックスで情報をまとめたものを後日、ご紹介くださるそうです。そちらをご参考ください。 今後も、zoomを使いオンラインで 接点を持っていくと話されていたので、参考になり […]
つらつらと 自分の気持ちを綴り始めて、約2ヶ月がたった。 あの時は、世界が「同じ敵」に向かわなくてはならない程、大きく変化するとは思いもしなかった。 毒親と絶縁してから丸3年。 どういうわけか、2019年の冬、気持ちに大きな変化が起きた。理由はさっぱりわからないけれど。 スッと、自分が悪性腹膜中皮腫という「がん」だ、と言う事実。 家族と絶縁している事実。 複雑性PTSDで治療中である事実。 無理を […]
私の体内には、約5個ほどの中皮腫 という名の、胡麻ぐらいのサイズの悪性腫瘍(がん)がある。 PET検査で確認できないほどの小さな爆弾。いつ増殖するのか、先生にもわからない。 怖くないといったら、 嘘になるけれど、でも内包し生きていく、自分でそう決めた。(経緯はこちらをどうぞ↓) 退院後の決定すべき事は、抗がん剤について アスベストが原因 ともされている悪性中皮腫(希少がん)。 アスベスト(石綿)と […]
自分が生きている「今」が 来年も等しくやってくると「病気を疑わず」生きていられたのは、がん告知を受けた日までだった。 人生とはきっと、そういうもで、いつだって前触れもなく、まさかは「突然」にやってくる。 知っていたけれど、こんなに思ったより早くやってくるとは、思ってもみなかった。(よろしければ、こちらもご覧ください↓) 毒親とアスベスト、私の心身を浸していく「毒」 あの日以降の私は、死ぬ気になって […]
私は「悪性腹膜中皮腫」という希少がん と宣告されてから8回目の春を迎えようとしています。(病歴について、詳しくはこちらからどうぞ↓) 中皮腫の手術から現在にいたるまでざっと書いてみた 横隔膜に悪性腫瘍を残したまま手術を終えた事、手術後の私には知らされていなかった真実。 なぜ、そう決めたのか、 今となっては、両親と絶縁して、夫も当時の記憶が曖昧なため、よくわからない、 「腫瘍を残して閉じた」とは、頑 […]
さて、つらつらと 約半世紀の私と毒親との事について、ざっと駆け足で綴ってきました。 以前触れた、子ども①の進路ですが、 第一歩を歩み始めます。 子ども①との思い出が、様々な気持ちが、こみ上げてきて、涙涙で困っています(笑)。(子ども①の進路について、詳しくはこらからどうぞ↓) 毒親の希望する孫の進路とは 悪性腹膜中皮腫の手術を受ける際 迷いに迷って、子ども①には病名を告げました。万が一を考え、お互 […]
術後、経過観察で病院に行く時 いつも母が付き添った。理由は「私ががん患者と勘違いされないための、母なりの思いやり」なのだそうだ。 毎回、診察時間まで待っている間、母と二人でソファで待つ時間がこれまた「どす黒い感情」がたまる修行の時間だった。私、悟り開けるかも…いや冗談じゃなく、本気で思ったもんね。 毒親あるあるかな? 母は、お寿司屋さんに行くと、カウンターであるにもかかわらず「〇〇(他店)のお寿司 […]