希少がんサバイバー

毒母のようになりたくないとい呪い

私は母と共依存状態である自覚の 無いまま結婚し出産をした。 母とは「喧嘩もするけど仲良し親子」と本気で信じ疑わなかった。 実情は母が常日頃、私に浴びせて続けてきた、 あなたは恵まれているの感謝しなさい 怒らせるあながた悪い あなたが素直なら私は怒らない 理解のある母親で良かったわね 普通の家庭は行かない店に行かれて幸せなのよ 等々の「恵まれている娘」という「洗脳教育」の賜物にすぎず、 20年ほどか […]

毒親と契約と学費と命、天秤で測れる?

悪性腹膜中皮腫と言われてから 心境は常にまな板の上の鯉のような感じだった。 はじめはアスベストという物質がこの世にあること、危険を知っていながら使用していたこと、そこに怒りを覚えた。 その次に襲ってきたのは「絶望」だった。 次に、自分の家庭環境に、毒母に、毒父に、毒兄に、怒りを覚えた。 生きる「望み」を持たなければ楽になる、そう思った。 友達がバセドウ病。彼女は言う、残りの人生おまけみたいなもの、 […]

デジタル遺産として子供に遺したい

きっかけは子供に遺したかった このブログを開設したきっかけについて書いておきますね。 いつか子供①②が成長し、 あの時母は何を感じていたのだろう?だったり、子供②には病気を伝えていないし、子供①にも詳しくは伝えていないから、知りたくなる日がくるかもしれない。 そんな日が来るかもしれないし、こないかもしれないけれど、詳細まで手紙に残しておくには、私の生存期間により「分量」も変わってくるので、そのため […]

家から一歩も出られなくなった

そう家から一歩も出られなくなる 実際にがん拠点病院へ診察をお願いする運びとなって程なく、私は引きこもっていた。泣きながらパソコンに向かい、ひたすら「中皮腫 腹膜中皮腫 余命 予後」等のワード検索をし続けた。情報が少なすぎて、論文も読んでみた。 7年前、ブログを開設している中皮腫の方はさほど多くなく、開設していても更新されていない、もしくはご家族が代筆し幕を閉じているものに目が止まる。 自意識を持ち […]

中皮腫の手術から現在にいたるまでざっと書いてみた

中皮腫の手術から現在まで 4月16日  総合病院でPET検査を受ける 初めてのPET検査。まず初めに検査薬を点滴する。腫瘍に目印をつける目的だそう。点滴後、個室へと案内される。可愛らしい壁紙とふかふかのリクライニングチェア。動かす部分に検査薬に含まれている糖が集まるので、音楽を聞くのはいいが、スマホや映像をみるのは禁止。1時間ほどそこで、検査薬が体内にめぐるのを待ち、検査をうけるのだ。 4月17日 […]

おかしいなあと思った診察の順番

そう、前回書いたが、4月12日 14時頃 これが診察予約だった。 なかなか呼ばれない診察の順番 診察待合室はたくさんの母子、もしくは、女性でいっぱいだった。16時になっても呼ばれず、一度看護師さんに確認に行くと、「うん、予約はちゃんと入っているから安心してね。まっててね」というので、今日は混んでるのかと思い椅子に戻る。 でも後から入ってくる人が先に呼ばれるし、17時になった時点ではもう私を含めて3 […]

希少がん告知を受けるその瞬間まで

術後、退院までは順調に回復していき、日程通り退院への運びとなりました。 腹腔鏡手術は回復が早いとはいえ 内臓を切る痛みが初めてなので、「痛みが少ないですよ」「回復も早くて楽ですよ」と言われていたものの、私の比較対象は出産と親知らずを三分割に割って取り出した時しかない。しかしきっと人並みなのだろうが、痛みの記憶は長引かないもので、案外けろっと忘れているものだ。 よって、私の比較対象は当てにならず…、 […]